マイナビ2018

会社案内

日の出屋製菓産業の歴史(沿革)

1924年~創業から戦前・戦後の激動期

1924年
(大正13年)
川合宣之

2月26日 個人創業

富山県福光町新町(現南砺市福光新町)で川合宣之が創業。
従業員3名で原料二斗を加工し、大八車を引いて売り歩いた。

1935年
(昭和10年)

この頃には工場らしくなり、原料は毎日1トンを確保でき、「手焼きあられ(※にっぽんあられ)」として、全国的に知れ渡るようになった。

富山・金沢の菓子問屋を通じて、東京・名古屋・大阪の菓子問屋へ、そして北は青森から南は九州まで販売されていた。当時は1斗缶にバラ物の商品を入れて販売していた。

1941年
(昭和16年)

第二次世界大戦により原料であるもち米の入手が困難となり、戦地へ出征する従業員も多くなったため、自主的に創業を中止。

1945年
(昭和20年)
棟方志功氏作による商品包装紙

戦時疎開のため福光に移住した世界的な板画家・棟方志功氏と川合宣之が交流、地域文化の担い手の1人として志功氏の創作活動を支援した。

同氏はこの地の自然をこよなく愛し、戦後の1954年まで在住した。

1950年
(昭和25年)

戦前のお客様から「日の出屋さん、以前の商売を始めるのなら私達は一生懸命応援するよ」との言葉に勇気づけられ事業を再開する。当時は配給制のため、天秤ばかりを持って福光近郊の農家へ原料米の買付けに廻った。

1951年
(昭和26年)

福光町新町に直売所を開店

かきやまの語源

かきやまの意味

「あられ・おかき等の米菓子を意味する方言。富山県西部や金沢(旧加賀藩の地域)で使われる話しことば。かっきゃまとも言う。」

日の出屋製菓産業の創業者川合宣之が、この話しことばである「かきやま」に「柿山」という漢字をあてたのが柿山のルーツ。ちなみに同氏は俳句を趣味としており、自身の俳号を「川合柿山(しざん)」としていた。

福光本店工場内にある柿山記念碑

「立山の柿山の味鮴の味」(たてやまのかきやまのあじごりのあじ)

川合宣之と交流のあった高浜虚子氏による句

柿山記念碑

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1954年~株式会社日乃出屋製菓所として発足

1954年
(昭和29年)
株式会社日乃出屋製菓所

3月2日株式会社日乃出屋製菓所として発足

個人事業から法人へ組織変更し「株式会社日乃出屋製菓所」として資本金150万円で新たなスタートを切る。

日乃出屋製菓所時代の生和菓子商品

当時は米菓以外に小豆や麦粉などの地元産物を使用して、饅頭や最中・羊羹などの生和菓子も作った。

1955年
(昭和30年)
工場内の社員

3月東京都天沼に東京営業所を開設

「本物の味なら全国で通用するはず。それを証明するために花の東京で勝負したい」と気負い立つ川合宣之の強い意志により東京進出をはたす。

8月福光町新町内に工場を増設

戦後のバイタリティ溢れる復興により糯米の収穫量が著しく増加。原料米を確保することができるようになり木造三階建工場を新たに増築する。
30名程の社員が工場内に住み込みで日夜作業をする。

当時の作業の様子

餅は大きな包丁で様々な形に切る。この作業は難しく習得まで2年を要した。
糯米1斗を大きな桶に移し、水を注ぎ大きな櫂で掻き混ぜ洗う。家庭用のせいろで蒸し、手水を効かし手返しながら杵搗きで餅を仕上げる。四角の木箱に入れ冷蔵庫で3日間寝かせる。焼きは、炭を起こしたレンガ釜に手焼き網を渡し、焦がさぬよう裏返し交互に移し変え、ムラが無いようにこんがりと焼き上げる。(この作業も難しいため入社後2年間は遣らせてもらえなかった)
焼きあがったのち、大形なら5個づつ手に持ち味付けをする。出来上がりは一斗缶にバラ詰めされる。

1956年
(昭和31年)

「堂さまあられ」が発売開始
(現在も発売中の当社最長ロングセラー商品)

1958年
(昭和33年)
8tトラックで運ばれる商品

7月東京都杉並区西荻に東京営業所を移転し、直売店を併設

富山の工場から毎日8tトラックに商品を積み込んで東京営業所へ送り込む

1961年
(昭和36年)
かきやま

福光駅前店開店

1964年
(昭和39年)
富山金泉寺工場

3月富山市金泉寺に富山金泉寺工場完成、
第1期うるちせんべい製造工場竣工

これまでの、もち米を原料とした「あられ・かきもち」の製造から、新たにうるち米を原料とした「せんべい」の製造へも参入

8月富山金泉寺工場内に第2期もちあられ製造工場竣工

1965年
(昭和40年)
大阪営業所

7月大阪市中央区松屋町に大阪営業所を開設
(翌年大阪市東成区深江橋へ移転)

東京営業所

12月東京都三鷹市に東京営業所を移転し
社屋と独身寮を新築

1967年
(昭和42年)
本社・福光本店工場

8月富山県福光町遊部に本社並びに福光本店工場完成、稼働開始

新工場・新本社

住宅地にあるため騒音等の問題があった新町工場が手狭となり、郊外に出て新工場と新本社を建設

1968年
(昭和43年)

4月新町に「かきやま総本舗」オープン

9月名古屋営業所を開設

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1970年~日の出屋製菓産業株式会社へ商号変更

1970年
(昭和45年)
万博に出店した日の出屋製菓産業のブース

3月自社独自の生産ラインの開発を目指してFAセンターを本店工場内に設置

3月日本万国博覧会に出店

会場内に2店舗を出店。毎日2tトラックに商品を満載して配送し、大盛況のうちに6カ月の会期を終える。

11月日の出屋製菓産業株式会社へ商号変更
川合昭至が代表取締役社長に就任

1972年
(昭和47年)
福光本社工場起工式

12月富山県福光町田中に福光本社工場完成、稼動開始

1973年
(昭和48年)

1月創業者の川合宣之が死去(7日)

1978年
(昭和53年)
ならび駒ならび駒

ならび駒ブランドスタート

1981年
(昭和56年)

7月福光本社工場内に製餅ライン完成、稼動開始

1984年
(昭和59年)

10月福光本社工場内に商品管理センター完成

1986年
(昭和61年)

9月福光本社工場内に原料米保管低温倉庫・自社精米工場が完成、稼動開始

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1989年~ささら屋・富山柿山ブランドスタート

1989年
(平成元年)

3月ささら屋(通信販売部門)を設立

1992年
(平成4年)
ささら屋福光本店

1月ささら屋福光本店オープン

ささらの店名に込められた想い

日の出屋製菓の本社がある富山県南砺市には、世界遺産の合掌造り集落で有名な五箇山地方があります。その五箇山を代表する民謡「こきりこ節」を唄い舞う際に用いる楽器が「ささら」です。
「ささら」は108枚の木片を紐で結んでつくられており、打ち鳴らすことにより煩悩を払うという厄除けとしての意味合いもあります。

ささら

こきりこ節など地域の伝統や文化を大切にし、ささらと同じくさまざまなものを結ぶ場でありたい。
店名のささら屋にはそんな想いが込められています。

こきりこ節

1993年
(平成5年)

4月富山柿山ブランドスタート(柿山プロジェクト始動)

12月東京営業所を東京都三鷹市に移転し社屋を新築

12月ささら屋東京三鷹店オープン

1998年
(平成10年)

1月新本社完成(福光町遊部から田中へ移転)

1999年
(平成11年)

9月川合声一が代表取締役社長に就任

2001年
(平成13年)
ささら屋八王子店オープン当時の外観

しろえびせんべい発売開始

4月ささら屋名古屋栄店オープン

6月ささら屋東京八王子店オープン

7月ささら屋富山金泉寺店オープン

7月ささら屋大阪住吉店オープン

2002年
(平成14年)

10月福光本社第二工場完成、稼働開始

2004年
(平成16年)

6月ささら屋金沢高尾台店オープン

2008年
(平成20年)
ささら屋八王子店オープン当時の外観

9月 立山工場・ささら屋立山本店オープン

せんべい商品の製造拠点であった富山市の金泉寺工場を閉鎖し立山町へ移転。
新たに立山工場・ささら屋立山本店としてスタートする。

工場見学や手焼き体験ができ、喫茶スペースや展望デッキからは雄大な立山連峰が一望できる絶好のロケーションに完成した複合型の大型施設。

2009年
(平成21年)

2月観光庁主催「魅力ある日本のおみやげコンテスト2009」で、しろえびせんべいが台湾賞を受賞

7月ささら屋富山金泉寺店リニューアル

2010年
(平成22年)

1月自社農場「結ふぁーむ」で農事業スタート

企業による農業参入条件が緩和された2009年の改正農地法施行後、富山県内での農業参入第1号となる。

2011年
(平成23年)

6月ささら屋金沢高柳店オープン

9月ささら屋東京八王子店リニューアル

10月原料米の富山県産米100%使用を達成

11月富山県地産地消優良活動賞を受賞

2012年
(平成24年)

1月ささら屋東京九段店オープン

4月ささら屋名古屋栄店リニューアル

2014年
(平成26年)
5月川合雅之が代表取締役社長に就任

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